私たちは、自分の「思い」を表現したり相手に伝えるために「言葉」を使います。言語的コミュニケーションの基本事項で、このことを忘れることはまずありません。相手が言った言葉を聞いて、その言葉からいろいろな自分の思いが誘発されるということもありますが、このことは忘れがちになります。
俳句や短歌を創る人は、自分の心情を表わすために心血を注いで言葉を見つけ出して句にします。「閑けさや岩に染みいる蝉の声」という芭蕉句があります。この句に接すると、周囲の閑けさの中で甲高い蝉の声だけが聞こえている情景が思い浮かびます。通常の言葉使用ではまず用いることのない「岩に染みいる」という文言で、まさにそこ居合わせているかのような心境にもなります。芭蕉が、この句の文言をどのくらいの時間をかけて紡ぎ出したのかわかりませんが、うまく言葉を使うものだと只々感嘆するすばかりです。この句が名句と言われるのは、情景が巧く言葉で言い表されていることの他に、何も思っていなかった人でさえ、この句の言葉を見聞きすると、イメージが浮んだり、そのイメージを臨場感豊かにあたかもそこにいて体験しているかのような心境になるからだと言えます。これがまさに、接した「言葉」から「思い」を体験するということです。
日本には、古くから「言霊思想」というのものがあります。言葉には、魂が宿っているという考えですが、心理学的には、言葉は単に音韻の並びに過ぎませんから、音韻に魂が宿るというのことはあり得ません。言葉そのものに魂が宿るというのではなく、言葉を見聞きすると、その言葉で誰でもが同じような心境になったり、同じような思いになるという現象があるということです。言霊思想とは、言葉から誰でも同じような思いになるのですが、それがあたかも言葉に魂が宿っていて、私たちを同じような思いにさせ感じさせるかのように錯覚させることを言っているのだということになります。こういった、思いが言葉を生み、また、言葉が思いを生むという現象を、「言葉」と「思い」の相互作用といいます。この相互作用は、相手が発する「伝達言葉」だけでなく、自分が自分で心の中で使う「内言言葉」でも起こる現象です。
「言葉」と「思い」の相互作用を知っていると、全くその気になれない相手や自分を、言葉を使ってその気にさせる可能性のある方法が分かってきます。簡単に言うと、自分でも相手でも、その気になれなくても、その気になるための「言葉」を見つけて、その言葉を見聞きしていると、その言葉がその気になる思いを誘発させてくれ、その思いで行動するようになる現象が生じるというものです。そのためには、どんな「言葉」がその気になる「思い」を誘発させてくれるのかという問題を解かなくてはなりません。さて、どんな「言葉」がその気になる「思い」を誘発してくれるのでしょうか?