大草心理臨床・教育相談室 おーぷんラボ|大草正信のコラム

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心を治療する(心理療法)とはどんなことをいうのでしょう
 心理療法やカウンセリングといった心の治療を意味する言葉が市民権を得て、多くの人に抵抗なく受け入れられるようになりました。しかし、心を治療するとは、どんなことをいうのかについては、全く知られていないことや、多くの誤解が蔓延しています。心は実体がないので、心が健康な状態とか不健康な状態とか言われても、その具体がよく分からないことが大きな原因の一つになっています。かって、ノンディレクディブカウンセリングの提唱で有名な、カール・ロジャース(1902-1987)が、心の健康な人を「十分に機能する人間」と表現しましたが、このような言明も抽象的すぎて具体がよくわかりません。悩んでいる人は、心がどうなって悩んでいるのか自分のことながら良く分かりませんし、心がどうなれば良くなっていくのかは、もっとわかりません。心理療法やカウンセリングというのは、言葉が知られるようになったほど、その実態や具体は知られていないのが実状です。
 ここのコラムでは、一般の人にも分かるように、心理療法やカウンセリングなどに関する心の考え方や心の働きの具体を概説していくことにします。
[ 2012/09/27 ]
心身相関って知っていますか
 心を治療するというからには、心の不健康な状態があると言うことです。心の不健康な状態があるのですから、心の健康状態があるということになります。当たり前のことと思われるかもしれませんが、一般の人に限らず精神科医や心理の専門家でさえ、心の健康や不健康とは、どのような心的状態をいうのかを明確に分かっている人は少ないようです。この点をはっきりしていきます。今現在、心が不健康で苦しんでいる人も悩んでいる人も、それが分かるだけでも楽になれると思います。
 心が不健康になるというのは、脳の働き(機能)が失調した状態になることです。脳失調と言います。fMRIといったレントゲンとコンピュータを連動する最新のアーキテキュチュアーを駆使すると、脳がどのように働いているのか分かるようになりました。心が不健康な人の脳をfMRIの画像で見ると、赤くなるはずのない部分が真っ赤になっていたり、赤くならなくてはいけない部分が青くなっていたりして、心の健康な人のfMRI画像と比べると、異変が起きていることがよく分かります。これが脳失調と、それが回復されないまま持続している状態の実態です。
 さて、ここからが精神医学と臨床心理学とでは、理解の仕方が大きく違ってきます。脳が失調するから心が不健康になるのだというのが精神医学の基本理解です。ですから、精神科医は脳失調が正常になるように投薬します。さらに、脳機能が正常になれば、心も健康になるはずと了解しています。臨床心理学では、心が不健康になるから、脳失調が起こるのだと理解し、さらに、脳機能が正常になっても、心が健康になるとは限らず、心が健康になってはじめて脳失調が無くなると理解するのが基本です。
 この心の不健康(心)と脳失調(身)との関係は、古来より、「悲しい(心)から、涙がでる(身)のか」「涙がでる(身)から、悲しい(心)のか」という心身問題として論争されてきたことと同じ線上のものです。現在では、その両方が在ることが証明されています。それは、私達の日常体験で考えてみても分かると思います。胃(身)が変になるから不安(心)になることもあるし、不安(心)だから胃(身)が変になることもあります。このように心から身体、身体から心へという相互の作用関係があることを「心身相関」といいます。精神医学の理解も、臨床心理学の理解も、両方正しいのですが、一方だけが全てではないということです。心の治療では両方があって一つのものになるということで、精神科医療と心理療法やカウンセリングを併行して行う必要があることの理由でもあります。
 こういったことをわきまえて、心理療法は臨床心理学の理念に沿って、心から身体(脳)の作用を扱っていくものだということを明確にしておきましょう。
 
[ 2012/09/27 ]
ネガティブ思いやマイナスの思いが心の不健康の素ではありません
 多くの人が、思い通りにならない、腹が立つ、イライラする、疲弊しストレスがある、どうしていいか分からない、悪いことが起こったらどうしよう、悪いことが起ているのではないか、全く自信がない、信じられない、問題が解決しない、変な考えが湧いてくるなど、そういったネガティブ思いやマイナス思い、納得できない思いを思ってしまうことが、心の不健康だと思い込んでいて全く疑おうとしません。そして、こういったネガティブ思いやマイナス思いは耐えがたいので本能的に、思わなくしよう、消してしまおう、他の思いと入れ替えようとしたりします。しかし、それができなくて困るのです。そして、自力ではできない、ネガティブ思いやマイナス思い、納得できない思いを、消してくれたり、ポジティブな思い、プラスの思い、納得できる思いに変えてくれるのが心理療法だと思っています。しかし、それは誤解で、心理学的に不可能なことなのです。そんなことをしなくても、正当な心理療法を受ければ、心が健康になります。
 私達の日常性をよく考えてみて下さい。どのような人でも、現実社会の中で生きるということは、そうは思い通りにならないものですし、腹が立てば、イライラもするし、疲弊しストレスがあるのは、普通のことです。そんなことで不適応になることなどあり得ません。悪いことが起きたらどうしよう、悪いことが起こってるのではないか、何を信じていいか分からない、といった懸念や懐疑、不信などは、どんなに平穏に安穏と暮らしている人でも、感じる時は感じるものです。苦手なことに立ち向かえない人は、自信がないからとよく言いますが、一般の人だってそんなに自信に満ちあふれて生きている人はそういません。むしろ自信のないことだらけなのに、何んとかかんとかやりくりつけているのが実情だと思います。
 アメリカ流の問題解決志向のセラピーがありますが、これだって、人間は、そんなに問題を解決して生きているとは思えません。問題だらけだし、何一つ解決などしていないのに、何んとか適応的にやれるのが健康さだと思います。ですから、問題解決志向のセラピーは変なセラピーだと思えます。不合理な信念が不適応の元凶で、それを合理的な信念に換えると適応できるようになるという認知行動療法の考え方もありますが、「鰯の頭は有り難い」と一般には不合理に思える、でも自分には合理で大事だと信じている信念を持っていても、そのことで不適応になったという話は聞いたことがありません。むしろ、そんな信念があるからこそ逞しく生きていけるということもあります。ですから、一般常識で考えてみても認知行動療法も奇妙なセラピーだと感じます。
 このように、現実に適応している人を見ると、ネガティブ、マイナス、納得のいかない思いなどがあっても、ほとんど心の健康を壊すことなくやっています。ですから、ネガティブ、マイナス、納得のいかない思いがあることが不適応の元凶だとは思えませんし、それを換えたり取り除いたりする必要があるとも思えません。
 むしろ、ネガティブ、マイナス、納得のいかない思いを、ポジティブ、プラス、納得いく思いに変えようとばかりしている拘りがや囚われが、心の健康な人なら決してしない、心の不健康なあり方だと思えます。
[ 2012/09/27 ]
マイナス思考を大切にすることがプラス思考の秘訣です
 最近はプラス思考が、ネット上でも本屋でも雲霞の如く溢れています。マイナス思考からは何も生まれません、マイナス思考があなたをダメにします、マイナス思考が諸悪の根源です云々、こういったことが声高に言われており、多くの人がそれを当然のことと信じています。プラス思考ができるようになるためには、それぞれに温度差のある物言をしていますが、共通しているのはマイナス思考を忌避していることで、マイナス思考を避けない限り、プラス思考はできないと主張しているかのように思えます。これも多くの人に当然のこととして信じ込まれているようです。
 マイナス思考への敵愾心は、偏見と誤解から生じたものですが、多くの人が、無自覚に誰にでも普通にある内なるマイナス思考を、直視しないようにしよう、認めないよういしよう、蓋をしてしまおうとしています。そして、無理矢理にでもプラス思考をしようと努力することになっています。
 心を自由に遣える健康な人は、このような心の遣い方をしていても、殆ど問題無くできてしまいます。どのようなプラス思考のネット記事や本を読んで参考にしても、それなりにプラス思考ができて効果を出すことができます。
 しかし、心の不健康な多くの人のは、プラス思考をしようとすればするほど、できなくて、できないことをさらに悩んで状態が悪化することが多くなります。お〜ぷん・ラボに相談に訪れる問題を抱えた相談者で、一般に言われているプラス思考を試みて成功した人はいませんし、むしろ状態を悪化させている人ばかりです。また、プラス思考をしようと意識している積もりがなくても、無自覚にそうなっている人も、プラス思考ができなくて苦渋しています。
 その理由は、「努力逆転の法則」に捕まっているからです。努力逆転の法則とは、暗示療法の創始者と言われているエミール・クエが提唱したもので、努力しようとすればするだけ悪化する現象をいいます。
 例えば、相手から陰口を言われて、悔しい口惜しいと思うマイナス思考があると、これも人生の貴重な体験だ、この体験で中傷に強くなれるのだ、とかプラス思考をしようとして、自然に素直に思えるとプラス思考は成功します。心が健康だと、さほど苦労せずにできたりします。
 しかし、心が不健康であると、自然に素直にそうは思えなくて、無理に思おうとすると「でも、言われたくない、許せない、悔しい口惜しい」とマイナス思考が激しくなってしまい、それではイカンと気を取り直してプラス思考をさらに強くしようと頑張ります。頑張ると、それに反発するかのようにマイナス思考もさらに強まって、いつまでも自然に素直にプラス思考ができず、プラス思考とマイナス思考とを際限なく行ったり来たりする、謂わば努力の空回りに陥っていきます。努力しているにもかかわらず、いっこうに報われないのでへとへとになってしまうのです。これが、努力逆転の法則に陥った悪化現象で、心が不健康な人は、このような状態に陥りやすいのです。
 努力逆転現象に陥らないように工夫すると、自然に素直にプラス思考ができるようになって心が健康になります。その工夫やコツは、治療のノウハウの章で詳細に述べますが、うまくプラス思考ができないのは、マイナス思考をないがしろにするので、マイナス思考が造反して努力逆転現象を引き起こすと言ってもいいと思います。マイナス思考を大切に扱い、敵愾しないことが大事なのです。
 自分には〜ができない(マイナス思考)、だから、少しでもできるようにやっていこう(プラス思考)のように、マイナス思考を土台にしてプラス思考する思い方ができると、自然に素直にプラス思考ができるようになります。
[ 2012/09/27 ]
完璧主義は良くない、無理はいけない、は本当でしょうか?
 常識のように、完全癖はよくない、無理はよくないと、殆どの人が言います。「完璧にはできないのだから、ほどほどにしなさい」「無理をせずに、気楽にしなさい」は、精神科医やカウンセラーの常套文句のアドバイスです。やっても成就するはずのない徒労や無理な頑張りが不適応の原因であるということが前提になったアドバイスです。この前提は、当然のことのように思えるかもしれませんが、よく考えると変です。なぜなら、世の人間で完全を目指さない人がいるでしょうか。物事に取り組む時には、誰もが完璧を目指そうとします。例え果たせぬことと分かっていても、無理して頑張ることは、殆どの人がしていることではないでしょうか。もし、完璧を目指すことや無理な頑張りをすることが不適応の原因になるのであれば、一流を目指して過酷な練習やトレーニングを自らに課すアスリートや、プロジェクトX (NHKの番組名)で描かれているような、艱難苦難を乗り越えて前人未踏の成果を成し遂げる人は皆、心の不健康や不適応者になっていなくてはならないはずです。ですが、そういった人達は、むしろ心の不健康とは真逆に、すこぶる心の健康さを持った人達です。
 最初から完璧を目指さないかかわりをする人や、無理でも頑張ってみることを端から諦めている人を、いい加減な奴とか、手抜きする怠け者とかいいます。ということは、精神科医やカウンセラーが悩んで苦しんでいる人への助言だと思っていても、、それを聞く側は、いい加減な人間になりなさい、手抜きをする人間になりなさいと勧められているようで、到底受け入れがたい抵抗を感じるようです。こんな助言をされた、律儀で真面目でキチンとしたことを志そうとしている人は、自分がしたくもない、むしろ回避したいことを、しなさいと勧められて、精神科医やカウンセラーの少しでも楽にしてあげようとする意図とは逆に、さらに困惑し疲弊していくことが珍しくありません。
 こんなことからも、完璧を目指すことや、無理な頑張りは、誰もが自然に当然のこととしてやっていることで、それが心の不健康で不適応の原因になっているとは到底思えません。心が不健康になる原因は、そんなところにあるのではなさそうです。完璧主義の人や無理する人が陥りやすい落とし穴のようなものがあって、それに留意してさえいれば完璧主義や無理することは、何の問題もありません。何に留意すればいいのかは、読み進めばわかると思います。
[ 2012/09/27 ]
心が健康になる仮説と不健康になる仮説
 ある研修会で、講師の精神科医が「私は、不健康になる仮説が欲しい」と言いました。これは、健康が損なわれる原因を知りたいということです。原因が分かれば、その原因を取り除けば治るだろうという考え方です。医師の仕事は、罹患を治す事ですから、病気になった原因を突き止めようという発想になります。確かに身体の病気は、こういった考え方が大事です。この病気はこの細菌が原因だとか、このウイルスが原因だとか、この臓器のここがやられているなど、これが原因だという「もの」があるからです。しかし、精神とか心の病は、そう簡単にいきません。なぜなら、精神や心は、現象で実体がないからです。身体の病のように、これが原因だといえる「もの」がないのです。これが原因だろうと結論付けても、主観で判断しているだけなので、本当にそれが原因かどうかを検証できないのです。ですから、精神科医療の活動は、診断一つとっても、医師によって違う診断が出たりして、一般人にはどうしてもわかりにくい様相を呈すことが多くなります。
 臨床心理学の基本は、「健康になる仮説」を探求することだと思っています。心が健康な人は、どうして心を健康にしていられるのかという疑問です。誰でも、現実生活の中で艱難苦難、困難支障に出会います。出会わない人などいません。そして、誰でも、艱難苦難、困難支障に出会うと、ダメだ、無理、できない、どうしたらいいんだ、といったネガティブ、マイナス、納得のいかない思いになります。心的ストレスから、妄想めいたことを考えたり、鬱気分が強くなったり、勝手に不満怒り・懐疑懸念が湧いてきたり、何んでも嫌としか思えなくなったりもします。なのにどうして、多くの人が、心の健康が維持できているのでしょう。大いなる不思議です。
 同じように艱難苦難、困難支障に出会っているのに、心の健康を壊さないで元気な人と、心が不健康になって不適応に陥る人とがいます。いったいその違いは何なのでしょう。それが分かれば、心が不健康になった人は、心の健康を壊さないでやっている人とおなじようにすれば、心が健康になれるはずです。こんな発想が、臨床心理学の「健康になる仮説」です。
 さて、健康な人は、ネガティブ、マイナス、納得のいかない思いになったら、どのように心を遣って健康を保っているのでしょう。
 一つの例として、反りの合わない相手がいて、その相手と二人で仕事をしなくてならない困難状況に置かれると、どのように心を遣って心の健康を壊さないようにするか考えてみましょう。
 反りが合わない相手ですから「嫌な奴で、こいつと合わねーな」とか思います。何のしがらみもなく、生の気持ちをストレートに出していれば、心のストレスは生じませんし、何より二人で仕事をしないで済めば全てが解決します。しかし、環境がそう都合よく変わることはなく、ともかくこの嫌な相手と仕事をしなければなりません。ですから、「嫌な奴で、こいつと合わねーな」と思いながらも「仕事の間だけ、うまくやろう」「無視して、やろう」「どっち付かずで、やろう」などと何かしらの適応するための思いを創ります。創る思いの内容は、その人の性格や場の状況で変わりますが、自分が好ましいと思う適応をするために何んらかの思いを創ります。どんな内容の思いでも思いが創れることが、適応機制が働いている心の健康な状態です。逆に適応機制が働かなくなって、思いが創れなくなることが心の不健康な状態です。
[ 2012/09/27 ]
適応機制の心理学を知っていますか(防衛機制ではありません)
 適応機制とは、
(1) 現実生活の中で、思い通りにならない困難支障に出会った時に
(2) 自分でいろいろ工夫しながら
(3) 現実と適切に調和してやっていこうとする 
(4) 適応するための思いを創る主体的な心の働き
を言います。
 人間は、誰でも適応機制を創れますが、適応機制は自力で創らないと形成できないものです。人間は、生まれて死ぬまで、日々の生活の中で、困難支障に出会うたびに適応機制を創りながら現実に適応していく存在だと言えます。
 人間の適応機制は強力です。どんなに劣悪な環境にいても、適応的に生きていけるのが人間です。本能に長けたミツバチでも、環境が合わなくなると簡単に死滅します。本能に長けていても、適応機制が貧弱なのです。また、高度に進化した人間に近いと言われているアカゲ猿でさえ、形成に失敗したり一度壊れた適応機制は、再生再興ができないことが知られています。人間の適応機制の強力さは、他の動物と明確に一線を画しています。
 結論の根拠が不明で信じられませんが、母子愛情関係論や対象関係論では、乳幼児期の母子関係形成の失敗がその後の心身の成長に著しい禍根を残すと説いています。確かに動物実験の結果はそのようになっていますし、自然から隔離された動物園で飼育されたチンパンジーが、子育てができず再獲得できないなどの事実もあります。しかし、人間の場合は、親に疎外され、ネグレクトされ、あろうことか虐待までされて、施設に措置され施設で生活を送って成長した子ども達の殆どが、立派な社会人になり円満な家庭の親になっている事実があります。残念なことに、一部に一人前の社会人になれない子ども達もいますが、少数です。
 児童相談所の職員だった頃、施設を出て健康で適応的に生きている子ども達に、劣悪な環境で冷酷な親の元に生まれたのに、どうしてそんなに健気に健康に社会人として生きられるのか、気持ちを訊くようにしていました。大勢の子どもの思いを聞きましたが、集約すると「自分の生い立ちや、環境や、親への恨みや不信は無くなっていないし、許さない思いも消えないけれど、人間として自分らしく社会人として、望ましい親として生きていこう」という思いをハッキリ創っているということでした。これが、子ども達が創った適応機制の思いです。
 いつから、そんな思いを作り始めたのかは、それぞれの子どもによって違います。早期に創っていた子どももいれば、いろいろ悪さをした後、長じてから創ったという子どももいました。だだ、共通するのは、人間的で適応的な思いを創っている(適応機制)ということでした。
 父子家庭でアル中の父親からネグレクトを受けていた男の子は、万引き、窃盗、恐喝、無免許バイク、など家裁の審判まで受けた子でしたが、こんなことをいつまでもやっていて自分はどうなるんだ、いい加減まっとうな生き方をしようと思い始めたと語り、捨て子で、自分の生い立ちを呪い、自分を捨てた親を憎み続けていた女の子は、無断外泊、暴走族、援助交際、不純異性交遊などの末、こんなことを続けていたら自分も子どもを捨てるような親になってしまう、何があっても子どもを守る親になろうと思いを創ったら一切の不良行為ができなくなったと語りました。
 こういったことからも、適応機制は、創ろうと思いさえすれば、誰でも、いつからでも、氏素性、環境、資質に依らず創れることが分かると思います。
 虐待は、親子三代続くなどとまことしやかに明言する専門家などを見ると、劣悪な環境に負けず冷酷な親関係を越え、親の愛情を知らなくても健気に健康な人生を生きている子ども達の顔が思い浮かんできて、そういった生き方をしている人間に対するなんという冒涜であろうかと怒り心頭に発してしまいます。臆面もなく呪いであるかのように言う専門家は、親子三代続いてしまう人と、立派な社会人になっている人との違いを明確にすべきですが、そんな話はほとんどなされていません。無責任の極みです。
 心の健康は、適応機制が働いて、適応的思いが創れるかどうかにかかっているのです。そして、創ろうと思いさせすれば、すぐに創れます。適応機制が創れない原因や理由などなにもないのです。

[ 2012/09/27 ]
人間の心は二つの思いで働いています
 本音と建て前、感情と理性、顔で笑って心で泣いてなど、心は二つの思いで働いていることを示唆する概念や諺があるにもかかわらず、一般の殆どの人は、心は一つの思いだけで働いていると思っています。心の思いが一つだと思っていると、不満、怒り、嫌悪、怖れ、懐疑、懸念といったマナス思い、ダークサイド思い、ネガティブ思い(以降不適応になりやすい思いという意味で不適応思いと表記します)を思っている状態で、プラス思い、ライトサイド思い、ポジティブ思い(以降適応になりやすい思いという意味で適応思いと表記します)を思えるようにするためには、心から不適応思いを消したり、思わないようにしたり、取り替えないとできないと思い込んでしまうことになります。普通の会話で話される、心を入れ替える、切り替える、改心するとかいう表現は、そんなことをイメージして遣われているものだと思います。しかし、私たちの今意識している思いはどんなものでも、消したり、思わないようにしたり、他の思いと取り替えたりすることができないと、心理学的にわかってます。悩んだり、心の失調に陥っている心が不健康な人は、不適応思いを解消するという不可能に取り組んで、いつまでも報われない状態に落ち込んでいる人だと言えます。心が健康な人は、ほとんど意識せずにしていることですが、そんな心の遣い方に陥ることがありません。
 誰でも、艱難苦難、困難支障に出会うと不適応思いになりますし、最初は誰だって、不適応思いを消そう、思わないようにしよう、他の思いと取り替えようと試みます。しかし、してみてもそれができないことだと分かり、分かると、不適応思いをそのままにして、適応思いを創ることへと関心を向け始めます。結果として、関心の向かう対象が不適応思いを解消することから、適応思いを創ることへ変わって、不適応思いは関心の外に置き去りにされ、不適応思いは、ただ在るだけで活動しない思いになっていきます。不適応思いが在っても、関心が、適応するための思いを創る方に向かい始め、適応思いが創れると、適応行動ができるようになります。適応思いが創れても、不適応思いが消えてしまうことはありませんが、在ってもひっそりと在るだけで、適応思いを創ることを妨害することをしなくなります。このように、在っても悪影響しないあり方を、不適応思いの化石化などと表現しています。
 心が不健康な人は、不適応思いを消したり、思わないようにしたり、他の思いに取り替えようとしたりすることを試みて、それが不可能なことだと分かるところまでは、心が健康な人と同じですが、分かっているのに、不適応思いを解消することから、関心を適応思いを創ることへ向けてみることが、どうしてもできません。解消しないと向けられないと思い込んでいるからです。結果として、いつまでも不適応思いを解消することだけに執着し拘泥している状態に、なりたくもないのに、なります。そして、いつまでも適応思いを創ることに関心を向けられなくなります。これが、悩み困り苦しむ心が不健康な人の、心の在り方です。
 心が不健康な人も、心が健康な人がしているように、以下の二つのことができるようになれば、心が健康な人になれます。
(1)心は二つの思いで働いていることを理解して、二つの思いの両方を大事にする。
(2)心の関心を、不適応思いを解消することから、適応思いを創る方に向けてみるようにする
 理解としては、難しくないどころか、むしろ簡単に思われます。当たり前のようにできている心が健康な人は、何の支障もなく無造作にできますが、一旦心が不健康に陥った人にとっては、それを実際にしてみることがとても難しいことになります。それは、心を健康にするため自分がどのように心を遣っているかなど、誰も意識してやっている人はいませんから、誰もが意識しないでしていることを、敢えて意識化してやってみようとすると、想像しなかった困難が出てくるからです。適応思いを思おうとしても、不適応思いが妨害するので、思いが創りにくくなるのです。その困難を乗り越えられるように支援してくれるのがセラピストです、セラピストに支援してもらいつつ、(1)(2)が適切にできるようなると、心が健康になります。
[ 2012/10/09 ]
自然に思ってしまう思い
 前項で、心は二つの思いで働いていると述べましたが、その一つが、「自然に思ってしまう思い」です。蛇を見ると、多くの人が「キモイ」と思うようです。少数派ですが、「可愛い」と思う人もいますし、「何とも感じない」と思う人もいます。そう思っている人に、どうしてキモイと思うのか?どうして可愛いと思うのか?どうして何も感じないのか?と訊いても、にょろにょろしているからとか、丸い目しているからとか、感じる何もないからとか、そう思ってしまう蛇の特徴は言えても、その特徴があるとどうしてそう思うのかについては答えることができません。そう思ってしまうとしか答えようがありません。ある有名な小説家が、「ありゃあ、異様に長げーから怖えーんだ」と、愉快に明言したことがあります。一理ある答えです。心理学にゲシュタルト心理学という学派があり、この心理学では、整っていない形は、人間に不快感と緊張を誘発するという原理を説いています。それを知っていて、そう答えたのかとも思いますが、この答えも、蛇の特徴を言っているだけで、それを見るとキモイと思ってしまう答えにはなっていません。
 人間は、外界、外在、環境、対象に対して、人それぞれにいろいろなことを自然に思ってしまいますが、なぜそう思うのかと問われても、わからないのです。嫌なものは嫌だし、面白いものは面白いし、どうでもいいものはどうでもいいと、自然に思ってしまうからとしか言い様がありません。自然に思ってしまうことに、原因も理由もないのです。否、そんなことはない、原因や理由はあるはずで、「何々だから、そう思うのだと」答える人もいますが、本当にそれが原因かどうかは検証できません。何々だからと原因や理由にあげるものは、外界、外在、環境、対象の特徴や特性について語っているだけで、それが在ると、どうしてそう思うのかにはやはり答えられないのです。
 ある外界、外在、環境、対象に対して、あることを思うことは、個々人ですべて異なり、何一つ同じものはないのです。ピカソの絵を見て、「すばらしい」と思う人も「わけわかんない」と思ってしまう人もいて、同じ環境(絵)でも、自然に思ってしまうことは違います。共通しているかのように思えるものでも、すべて微妙に違っています。十人十色というのは、こんな個々人の思いの違いを言ったものです。落語の「饅頭怖い」や昔話の「たのきゅうの小判が怖い」などは、何をどう思おうが自由で、どう思ってしまっても変でもおかしいことでもないという原則を笑い話に仕立てたものです。自然に思ってしまう思いに対して、なぜそう思うのかについての原因や理由を探しても見つけることができませんから、心の理解は、ともかくそう思ってしまうということから始めなくてはならないのです。だから、何をどのように思ってしまっても、それはOKだと言うことです。Aという対象がBという決まった思いを思わせるということは、20世紀初頭に「恒常仮定の否定」として科学的に破棄されました。しかし、悪環境で育つ子どもは、悪い子になるといった恒常仮定の考え方は、専門家の中にも未だにまかり通っていて、本当に困ったものです。
 ある外界、外在、環境、対象に対して、あることを自然に思ってしまう思いを、一次的に自然に思ってしまう思いという意味で「一次意識の思い」と呼んでいます。一次意識の思いは、どんなことだって思っていいし、思ってはいけないものなどなく、すべて自分の思いなのですから、プラスでもマイナスでもダークサイドでも、毛嫌いせずに大切に扱い、自分は、外界、外在、環境、対象に対して、こんなことを思っているのだと知っていることが大事です。
 カウンセラーが「なぜ、そう思うのですか」とか「そう思うのは、どうしてですか」と訊くことは、まずありません。訊いてもわからないことを訊いてクライエントを困らせないようにする配慮だからです。カウンセラーが「そう思っているんですね、それで・・」などと対話を始めるのは、こんなことに基因しています。
 人は誰でも、不快な一次意識の不適応思いを思ってしまう原因や理由を知りたがります。原因や理由がわかれば、不適応思いが、消えて、無くなり、取り替えられるように思えるからです。悩みの種になる不満、怒り、嫌悪、怖れ、懐疑、懸念といった不適応思いは、自然に思ってしまう一次意識の思いですが、一次意識の不適応思いは、どんな思いがあってもいい、そんな風に思ってしまっていると自覚することから始めようとは、なかなか思えません。が、なかなか思えないというのも、一次意識の思いですから、そう思っていていいのです。一次意識の不適応思いを、なんとかすることに汲々としていても、していなくても、人間には、自力で思ってみることをして創る思いというものが在り、自分で自分の思いが創れるようになると、心が穏やかな健康になります。
[ 2012/10/09 ]
思ってみることをして自力で創る思い
 二つの思いのうちのもう一つが、思ってみることをして創る思いです。「思ってみることをする」とは文法的に変な日本語ですが、心を働かせて思うことを主体的にするという意味で、思ってみることをすると言っています。人間は自分の思いを自分で創っているのですが、殆どの人が、当たり前のようにしているので、敢えて自分が思いを創っていることを意識することがありません。しかし、創っています。一次意識の思いを思いつつ、思ってみることをして自力で創る思いを、一次的に思ってしまう思いに対して、二次的に創る思いという意味で「二次意識の思い」と呼んでいます。
 「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、織田軍団に甲斐武田が攻め滅ぼされる際に、落ち武者の引き渡しを拒否して焼き殺された恵林寺の快川禅師の偈(げ=悟り)です。火に焼かれば熱いと思ってしまうのが一次意識の思いです。なのに、何も感じないように二次意識の思いを思ってみることをして創ると、創った思いのように火も涼しいと感じるというものです。熱いと感じる一次意識の思いとは真反対に、何も感じないという思いは、自力で創らないと思えない二次意識の思いです。常人は、焼かれながらそんな思いが創れるものではありませんが、創ろうと思えば創れるということの証になる故事です。
 先述しましたが、適応するために思いを創って適応する心の働きを適応機制といいます。一次意識がどんな思いであっても、思ってみることをして思いを創る人間の心の働きは、強力です。人間の心に思いを創る働きがあるので、未知のことを発見したり未だ無い物を発明したりすることができます。自然の変化や環境の劣化に遭遇しても、いろいろ工夫する思いを創って適応することができます。新たな思いを創ることを繰り返して人間は進化してきました。ある学者が、人間は地球に寄生するカビだと言いました。灼熱の地でも酷寒の地でも劣悪環境を生き延びて繁殖して地球を食い潰すというのです。人間の適応機制が破壊的に旺盛だということを言っているのです。さりながら、食いつぶしてしまうのがカビですが、食いつぶさないように工夫して適応することも考えるのが人間の適応機制なので、人間とカビとを同一視するのはいかがなものかと思います。それは別儀としても、人間の適応機制は優れてすばらしいもので、適応するためには自力でどのようにも思いを創ることができるということを銘記すべきです。思ってみることをして自力でどのようにも思いが創れるので、前世、来世、天国、地獄、宇宙、海底、地中など、なんでも思いが創れます。思いを馳せれば創れない思いなど何もありません。経験が無くても、未知でも、不可能でも、創ろうと思えばなんとでも創れます。しかし、創ろうと思わなければいつもでも創れません。創ると創った思いのように行動が開始されます。
 研修会の講師の時に「ビルを壊すときに使う大きな鉄球があります。それが、下から上に向かって落ちて、天井にめり込んで埃が舞っている状況を思えますか」と受講者に訊いてみました。9割の人が「思えません、無理です」と応えました。「ほー、無理ですか。実際には有り得ないことですが、単なる想像ですよ、仮想・空想じゃないですか、空像なら創れるでしょう」と言うと「なーんだ、空想でいいんですか、それならできます」と皆が言いました。「ええー!?、こんなこと仮想・想像・空想以外に思いようがあるんですか、空想なのは当然でしょう。最初からそう思えなかったんですか?いったい、どんな思いが空想を難しくしていましたか?」と訊くと「いやぁー、あり得ない、できない、無理だとか、そんな思いですかね」「でしょう、それが私の質問で、皆さんが自然に思ってしまった一次意識の思いですね。一次意識の思いが確信的で関心が外れなったので、空想で、イメージを創ってみるかと、思えなかったんでしょう」「言われると、空想が一次意識の思いに阻まれていたことが、すごくわかります」「空想、想像するんですよと聞くと、一次意識への関心の枷が簡単に外れて、空想で思いが創れるようになったでしょう。これが治療的とか教育的とかいう支援ですね」「わかります、なーんだ空想すればいいのかと思うと、関心が一次意識から外れたことが分かります」「皆さんが困ったと同じあり方になって抜け出せないのが、悩む人の心のあり方です」「でも、想像・空想でいいと言われると、すぐにできました」「聞く体験で、思いが創れるようになるのが治療的、教育的効果ですね。思いが創れたら、心がすっきりしたでしょう」「はい、なりましたね」
 思ってみることをして自力で思いを創ることなど、どのようにもできるハズなのに、相反する一次意識の思いが在ると自力で創れなくなります。でも簡単な支援があれば創れるようになる、言ってみれば適応機制が働くようになる端的な例です。
[ 2012/10/09 ]
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