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大草正信のコラム
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したくない事をしてもしなくても、不適応にならないのが心の健康な人
 自分の心身状態も自己環境といって心が捉える環境の一つです。一過性の状態だけでなく、運動神経が鈍いとか機敏だとか(体質)、過敏で消極的だとか(気質)といった生まれつきの素質も自己環境といっていいと思います。一晩寝てもまだ身体の疲労が取れていない感じで、朝起きようとしても普段のように起きられません。こんな自己環境に対して、「ああ、休みたい、一日楽をしたい、もう少し寝ていよう、休んでもいいか、もうどうなってもいいや・・・」とかあれこれ思ってしまうのが一次意識の思いです。説明上、不適応思いなどと良くないかのような言葉を使っていますが、過労状態に対する思いなのですから、一次意識の不適応思いは自然で当然な、当たり前の思いです。そう思わない方が変です。思ってしまう不適応一次意識の思いを、明け透けに当然のこととして、おおぴらに思えているのが、心が健康な人の際だった特徴です。心が健康な人は、どんな不適応一次意識の思いでも、自然に素直に当然のことのように思えて、消そう、無くそう、思わないようにしようなどとしません。
 心が健康な人は、不適応一次意識の思に、囚われ拘り我執することに心を奪われないので、自分の置かれた状況に一番適していると思われる適応二次意識の思いがすぐに創れます。不適応一次意識を当然のように思いつつ、「人に迷惑かけられない、自己責任を果たさなくてはいけない、誰も肩代わりしてくれない、やるべき義務だから、ルールを守らないといけない」などと、適応的二次意識の思いを創るために助走するかのようにあれこれ思ったあげく、「(したくもないが)取りあえず起きるか。仕事へ出かけるか、行けばなんとかなる」といった、一次意識の思いとは真反対の適応的二次意識の思いが、無理なく当然のように創れます。なにも出社する前向きの思いだけでなく、「健康のために、今日は休もう」とか「遅刻して行くか」とか、後ろ向きでも一時保留でも、人様々に、その時々の状況に合わせて創ります。その時に自分が好ましいと思う適応的二次意識の思いを創るので、創った思いのように起床する、出社する、休む、遅参するといった行動が開始されます。不適応一次意識の思いが当たり前のように思えるように、どのような適応的二次意識の思いも、納得ずくで当たり前のように創り、創った思いのように自分が行動していることを自覚しているのが心の健康な人です。
 認知行動療法の前身になった論理療法があります。端的に言うと、正しい論理が心を健康にするという考えです。上記のような健康な人の思いの在り方は、休みたいと思っているのに、出社しようと思うのですから、理屈に合わないとも言えます。出社しようと思いを創るために、助走のようにあれこれ思う内容との関係を考えると、論理が通っているとも思えます。結論的に言うと、論理は、科学的な客観的結論の正誤、当否、合不を検討するために必要なものですが、個人が適応するための主観の思いを創るためには必須のものではありません。適応では、闘っても、逃げても、傍観しても、どのようにしてもよく絶対的正答がありません。個人が主観的にそれがいいと思う思いを創るために論理を使うのです。論理が正しいから正しい適応的二次意識が創れるのではありません。ですから、いくら論理を正しくしても心が健康になるとは限りません。それでも、合理性文化に慣れ親しんだ欧米人は、正しい論理で思いを創ると、心が安定することが多いようです。阿吽の呼吸といった曖昧性に寛容な日本人気質では、そうもいかないようです。
 二律背反する思いに膠着するダブルバインドという状態が、心を不健康にするという考えもあります。しかし、心が健康な人は、上記の例のように、「休みたい」と「出社しよう」のように背反する思いなどいくつもあっても、ダブルバインドに陥ることがありません。自分が、適応するために好ましいと思う思いを創って採用するからです。ダブルバインドは、心が不健康な人が特徴的になる状態で、心が健康な人はなりません。ダブルバインドが心を不健康にするのではなく、心が不健康だから、ダブルバインドになるのです。だから、ダブルバインドを無くしても、心が健康になるとは限りません。ダブルバインドを解消するということは、自分が適応的だと思える思いを創ることに他ならないのです。
[ 2012/10/12 ]
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